それでも私は許します…浮気相手を許す4つの考え方
「私はこんな辛い思いをしているのに、浮気相手は平然と生活を送ってる」
「どうして私だけ…」
自分は浮気された被害者であるにも関わらず、加害者である浮気相手は何の罰を受けることもなく日常生活を送っている・・・そんな現実を考えれば考えるほど、理不尽すぎて悔しいですよね。
同時に、憎しみと怒りで頭が一杯になった自分に
「許さなければならない」
と言い聞かせながらも許すことができず、自己矛盾に苦しまれている方もおられるのではないでしょうか。
憎き浮気相手を許すのは決して簡単なことではなく、ポジティブシンキングという言葉では収まらないことだと思います。
一体どうすれば、浮気相手を許すようになれるのでしょうか・・・
目次
考え方①:損得勘定を受け入れる
浮気されて辛い思いをしている自分と浮気をしたにも関わらず幸せに生活している浮気相手を比べてしまうと、どうしても「不平等」「理不尽」という考えに行き着いてしまいますよね。
その根幹にあるのは損得勘定。
損得勘定は「勝つか負けるか」「不幸か幸せか」「0か1か」といったような二次元的な考え方です。
何をもって損得と呼ぶかはここでは置いといて、少なくとも今自分の中では「辛い思いをしている自分=損」「幸せに生活している浮気相手=得」と考えてはいないでしょうか。そして、いくらそのことを考えないようにしようとしても、どうしても考えてしまうのではないでしょうか。
損得勘定が捨てれれば一番楽になれるとは思いますが、私は損得勘定を捨てろとは言いません。自分の素直な気持ちを押さえつけたところで反動がくるだけです。
まずは損得勘定の考え方自体を受け入れてみてはいかがでしょうか。
考え方②:「許すべき」「許さなければならない」を捨てる
「浮気相手を許すべきだ」
「浮気相手を許さなければならない」
この真っ直ぐな考え方はとても素晴らしいことだと思います。きっとこの考えを持っているあなたは、物事を深く考えれて、人道的正義を貫く強さがあり、正しい道徳観を持っている方でしょう。
しかし、この「べき」「なければならない」というのは諸刃の剣で、時には自分を苦しめてしまうことがあります。
たとえば、自分が浮気相手を許すべきと考えている人がどうしても許せなかった場合、「自分の能力が足りないから」「心の狭いから」といったように自分を責める傾向にあります。
話は少し違いますが、教師が鬱になりやすい原因の背景には「強い正義感」や「真面目さ」が関係していると言われおり、「生徒はこうあるべきだ」「立派な大人になるためには〜でなければならない」といったように、「〜べき」「〜なければならない 」という思考に陥りがちです。
難しいことかもしれませんが、思い切って「浮気相手を許すべき」から「浮気相手を許せたら良いな」といったように考え、とらわれた思考を解放させてみてはいかがでしょうか。
考え方③:現実はこういうものだと理不尽を受け止める
少し話を戻しますが、「理不尽」「不平等」に感じるのは損得勘定が根幹にあるからであり、損得勘定自体を受け入れてみたらどうかと言いましたが、それと同時に理不尽な現実を受け止めてみてはいかがでしょうか。
理不尽・不平等な現実は浮気に限った話ではなく、身の回りにありふれています。むしろ、理不尽や不平等がない社会やコミュニティは存在しないと思います。言い換えると、現実は理不尽と不平等で成り立っているともいえます。そして、理不尽と不平等は変えられるものではありません。
変えられない理不尽を受け止め、現実はこういうものだと考える方が自分が疲れなくて済みますし、自然と浮気相手への怒りや憎しみが和らぐのではないでしょうか。
考え方④:今の状況を「学び・成長の場」として捉える
浮気された自分を考えれば考えるほど、惨めで情けなくて悔しくなりますよね。
この気持ちは、自分自身を大きく2つの道に案内してくれるでしょう。
1つ目は今の辛い思いにしがみついたまま憎しみや怒りを持ち続けるのか
2つ目は今の辛い思いを乗り越えて次に進むか
正直、1つ目は楽な道だと思います。現状を変える必要がないからです。
逆に、2つ目は現状を打開する必要がある厳しい道ですが、自分自身を飛躍させる道となるでしょう。
もちろん、浮気相手を許せなければ成長できないと言っているのではありません。何度も言うようですが、「浮気相手を許す=正しい、浮気相手を許さない=正しくない」ではありません。
ここで言っている成長・学びというのは、浮気された現実を受け止めて理不尽を乗り越える力がつくことです。
浮気された現実を学びの場として捉えれば「許す・許さない」という考えがそもそも思いつかないはず。
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